大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

松山地方裁判所 昭和46年(ワ)156号 判決 1976年4月19日

原告 伊予鉄道株式会社

右代表者・代表取締役 新野進一郎

右訴訟代理人・弁護士 石丸友二郎

同 米田正弌

被告 奥道後温泉観光バス株式会社

右代表者・代表取締役 大黒常一

右訴訟代理人・弁護士 篠原三郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一双方の申立て

一、原告の申立て(請求の趣旨)

1  被告は、

(一) 路線

(1) 起点 松山市末町字土居谷二九一番地先 一〇・九〇キロメートル

終点 同市大手町二丁目九番地先

(2) 起点 同所               九・三〇キロメートル

終点 同市高浜町五丁目一五五六番地先

(3) 起点 同市石手町三五一番地先      三・九五キロメートル

終点 同市千舟町五丁目一番地先

(4) 起点 同市花園町六番地先        六・二五キロメートル

終点 同市南吉田町松山飛行場用地内

(5) 起点 同市平和通り二丁目三番地先    八・五五キロメートル

終点 同市堀江町一七四二番地先

(二) 運行系統及び回数

(1) 奥道後―国鉄松山駅前 三八回

(2) 同  ―松山観光港  一〇回

(3) 同  ―松山空港    五回

(4) 同  ―堀江港     七回

の道路運送法に基づく一般乗合旅客自動車運送事業(非限定)を経営してはならない。

2  被告は、運輸大臣に対し申請した1の予定路線における一般乗合旅客自動車運送事業の免許申請(高松陸運局昭和四六年自公第一四号旅A第一八号)の取下手続をせよ。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

二、被告の申立て(請求の趣旨に対する答弁)

主文同旨の判決を求める。

第二双方の主張

(請求原因)

一、1 原告は、昭和一七年四月一日に地方鉄道業、軌道業及び一般乗合旅客自動車運送事業(以下適宜乗合自動車事業またはバス事業と言い、乗合自動車のことをバスという)等交通運輸関係事業を営業目的として設立された会社であって、右乗合自動車事業については、愛媛県中予地区、なかんずく松山市を中心として、古くより既設路線を経営しているものである。

2 被告は、昭和三五年二月二六日に、奥道後観光開発株式会社の商号をもって、温泉開発、国際観光事業、旅館、料理、娯楽、演芸遊戯、物品販売業等(以下観光事業という)を営業目的として設立せられた会社であって、同年三月八日に商号を奥道後国際観光株式会社と変更し、次いで同年九月一八日に商号を奥道後温泉観光バス株式会社と変更するとともに、営業目的を一般乗合旅客自動車運送事業及びこれに付帯する一切の事業と変更し、交通関係事業の経営を専業とするにいたったものである。

二、1 被告は、設立当初温泉及び観光施設(以下観光施設と言い、その一部の施設について遊園地ということもある)の開発をもくろみ、これが施設の完成後における観光事業の開始に備えて、昭和三五年六月一四日付をもって、運輸大臣に対し、次のごとき内容の乗合自動車事業の免許申請(以下第一次免許申請という)をした。

(一) 事業の目的 一般乗合旅客自動車運送事業(限定免許)(注)

(二) 旅客の範囲 奥道後観光施設に入園するものに限る。

(三) 運行系統及び回数(一日)

(1) 奥道後―国鉄松山駅前

自四月一日至一〇月三一日の期間 一〇五回

自一一月一日至三月三一日の期間  八五回

(2) 同  ―高浜        一一回

(3) 同  ―堀江港        四回

(4) 同  ―松山空港       二回

(5) 同  ―三津浜港       五回

(四) 推計年間取扱旅客数             七〇万人

(五) 事業用自動車台数(後日一台追加して一一両)  一〇両

(六) 乗務員数(運転手及び車掌)         各一三人

(注) 本申請による限定免許の各路線の旅客は、往路(奥道後行)においては途中乗車ができるが途中下車ができず、復路(奥道後発)においては途中下車ができるが、途中乗車はできないとされている。

2 しかし、右被告申請の運行系統にかかる各路線は、原告が乗合自動車事業上の既得権として当時営業中であった路線と競合するものであり、奥道後の観光施設が完成すれば、原告は、これに対応する旅客輸送のため十分の輸送力を供給できる用意があったので、被告の申請に反対する立場をとり、これが法的手段として、道路運送法施行規則第七三条の4の規定に基づく聴聞申請をしたところ、愛媛県当局及び県政財界の有力者がこの事態を憂慮して、原、被告間を斡旋した結果、同年九月八日に、その前文に双方及び新会社がたがいに協力し、緊密な親善関係を保持することを基調とする旨の記載のある標題「契約書」なる書面により、双方間に次のとおりの内容の契約(以下原協定という)が成立した。

(一) 被告の営業から旅客自動車運送部門及びこれに付随する業務を切りはなし、これが事業を別会社で行う。

別会社の名称は、奥道後観光バス株式会社と称する。

(二) 右新会社の資本は、原告三割、被告七割にて構成する。

(三) 新会社の自動車運送事業の種類は、昭和三五年六月一四日付一般乗合旅客自動車運送事業経営免許申請書のとおり奥道後遊園地発着の旅客の輸送に限り、これが免許は限定免許とし、他の旅客は取扱わない。

(四) 新会社の路線の営業権は、原告以外の営業者に譲渡しない。

(五) 新会社と被告は、原告の路線の営業に影響のある事項は原告と協議して定める。

(六) 新会社の運行開始に当っては、運行系統、運行回数、運行時刻、運賃等運輸に関する一切の事項につき原告と運輸協定を結び、運輸省の認可を受ける。

(七) 原告は、昭和三五年七月一九日付申請の聴聞申請書を取下げ、新会社に対し本契約書及び運輸協定により、昭和三五年六月一四日付一般乗合旅客自動車事業経営免許申請路線に同意する。

3 次いで、原協定が成立した日の翌九月九日に、被告から可及的速やかに右一般乗合旅客自動車事業の経営免許(以下経営免許という)を得る方法として、原協定を変更することの申出があり、原告がこれに同意して、標題「覚書」なる書面により双方間に次のごとき内容の契約(以下修正協定という)が成立した。

(一) 当時の被告の定款の一部を変更して、その商号奥道後観光開発株式会社の名称を原協定が予定していた新会社の商号奥道後観光バス株式会社と変更するとともに、その営業目的を乗合自動車事業及びこれに付随する一切の事業に変更する。

(二) 原告が被告に対し、その資本金の三割に当る出資をし、あわせて役員を派遣し、もって、(一)の約条と相まって原協定における新会社の設立に代える。

(三) よって、第一次免許申請書をそのまま維持し(原協定においては被告が同申請書を取下げ、新会社があらためて同一内容の経営免許申請書を提出すべきはずであった)、社名変更の追加申請をする。

三、1 その後、右修正協定に基づき前記二、2のとおり、被告が商号及び営業目的を変更し、被告の従前の観光事業は、新しく設立せられた奥道後国際観光株式会社(以下国際観光会社という)が承継することとなり、原告は、原協定(七)の約条により、被告に対し第一次免許申請に対する同意の意思表示(法律行為の意でない・以下同じ)として同年一〇月五日付同意書なる書面を交付したのであるが、同会社の観光事業の開発工事は、その用地内にある河川敷の所有権の帰属をめぐって、愛媛県と松山市との間に紛争が生じて訴訟事件にまで発展したため、その完成が遅延し、第一次免許申請時から相当の年月を経過したので、所管庁の要請により、被告は、昭和三七年二月二二日付で同申請を取下げた。

2 やがて、昭和三九年六月にいたり、右国際観光会社の観光施設の開園の見通しが立ち、被告は、あらためて同月二九日付をもって、運輸大臣に対し、次のごとき内容の経営免許の申請(以下第二次免許申請という)をした。

(一) 事業の目的 一般乗合旅客自動車運送事業(限定免許)

(二) 旅客の範囲 奥道後観光施設に入園するものに限る。

(三) 運行系統及び回数(一日)

(1) 奥道後―国鉄松山駅前 四二回

(2) 同  ―高浜     一〇回

(3) 同  ―松山空港    五回

(4) 同  ―堀江港     二回

(四) 停留所(岩堰ビル他)    一三個所

(五) 推計年間取扱旅客数     九二万人

(六) 事業用自動車台数       一一両

(七) 乗務員数(運転士及び車掌) 各二一名

3 原告は、右被告の第二次免許申請に当り、原協定(六)の約条にしたがい、運行系統、運行回数、運行時刻、運賃等運輸に関する一切の事項について運輸協定を締結し、道路運送法第二〇条に基づき、被告と連名をもって右運輸協定の認可を申請するとともに、被告の経営免許申請書にその運輸協定書を添付することにより、原協定(七)の約条による同意の意思表示をした。

4 被告は、同年一一月一七日付をもって、第二次免許申請に基づく経営免許の認許を受けるとともに、同月一九日付をもって運輸協定も認可せられたが、右経営免許は、申請した事業計画の一部が変更せられて、停留所の数が各発着点の停留所のほか途中におけるものとして、松山市駅前一個所(奥道後―堀江線を除く)に制限せられた。

5 被告は、昭和四〇年一月三一日に、右経営免許にしたがい、乗合自動車事業を開始した。

四、1 ところが、被告は、原協定(五)の約条による事前協議を経ないで昭和四一年七月二五日付をもって、運輸大臣に対し、非限定(注)の経営免許の申請(以下第三次免許申請という)を提出した。

(注) 本申請における非限定とは、各路線の旅客が途中の各停留所で自由に乗降できる通常の乗合旅客自動車の業態をいう。

2 被告は、原告に対し原協定(三)の約条に基づき奥道後の観光客のみを取扱い、原告の営業にかかる通常の旅客を取扱わない義務を負うものであるのに、右被告の第三次免許申請は、明らかにこの不作為義務に違反しているので、原告は、同年八月二三日付をもって、当庁に、被告を相手取って「一般乗合旅客自動車運送事業の禁止方請求」の訴訟(以下第一次訴訟という)を提起し、被告がこれに応訴して係争中に、愛媛県政財界の有力者がこの事態を憂慮して、ふたたび双方間を斡旋し、その結果昭和四二年九月七日に標題「調停書」なる書面により、双方間に、次のごとき内容の契約(以下「調停による協定」という)が成立した。

(一) 被告は、第三次免許申請を取下げ、原告は、第一次訴訟を取下げる。

(二) 今後、被告が営業中の路線にかかる運行便の増加、運行時刻間隔の短縮、途中下車等については、監督官庁の指導にしたがって運輸に万全を期する。

3 そこで、被告は、昭和四三年九月九日付をもって、第三次免許申請を取下げ、次いで原告が第一次訴訟を取下げたのであるが、被告は、その後右「調停による協定」の趣旨にしたがい、所管庁に対し停留所増設等を申請し、昭和四三年一二月に停留所一二個所増設の、昭和四四年一二月に途中下車停留所七個所指定の、昭和四五年一月に堀江線について五回に増便の各認可を得た。

五、1 しかるに、被告は、ふたたび事前協議を経ないで昭和四六年二月二日付をもって、運輸大臣に対し、さらに、請求の趣旨1記載のとおりの路線並びに運行系統及び回数による非限定の経営免許の申請書を提出(以下第四次免許申請という)し、この申請は、高松陸運局において同年二月一五日付同陸運局自公第一四号旅A第一八号をもって、その公示がなされた。

2 この第四次免許申請は「調停による協定」を無視し、第三次免許申請と同様に原協定(五)の約条による事前協議の義務及び(三)の約条による不作為義務に違反し、あえて、原告の営業権を侵害しようとするものである。

六、よって、被告は、原告に対し右第四次免許申請による乗合自動車事業をしないことの不作為の給付義務をおい、あわせて同申請を取下げる義務があるので、その各履行を求めるべく、本訴請求に及ぶ。

(請求原因に対する被告の答弁)

一、請求原因一、1、2の事実を認める。

二、請求原因二、1の事実を認める。

同2の事実のうち、被告申請の運行系統にかかる路線が原告の乗合自動車事業上現に営業中の路線と競合するものであったこと及び原告が被告の申請に反対の立場をとり、道路運送法施行規則第七三条の4の規定に基づく聴聞申請をした以下の経過により、原告主張の原協定(以下被告の主張において、原協定、修正協定の語を用いるも、被告が同各協定を法律上の契約として認めている趣旨ではない)のとおりの内容を記載した標題「契約書」なる書面が原被告間に取交されたことを認めるも、被告申請の運行系統にかかる路線について、原告が乗合自動車事業上の既得権を有するとの主張を争う。

同3の事実のうち、原協定が成立した日の翌九月九日に、原告主張の修正協定のとおりの内容を記載した標題「覚書」なる書面が取交されたことを認める。

三、請求原因三、1の事実を認める。

同2の事実を認める。

同3の事実のうち、被告の第二次免許申請に当り、原告と被告とが運輸協定を締結し、道路運送法第二〇条の規定に基づき、双方の連名をもってその認可を申請するとともに、被告の経営免許申請書に同運輸協定書を添付したことを認めるも、同運輸協定が原協定(六)の約条にしたがったものであること及び被告の経営免許申請書にこの運輸協定書を添付したことにより、原協定(七)の約条による同意の意思表示をしたとの主張を争う。

同4の事実を認める。

同5の事実を認める。

四、請求原因四、1の事実を認める。

同2の事実のうち、原告が被告を相手取り原告主張の第一次訴訟を提起して双方が係争中に、愛媛県政財界の有力者がふたたび双方間を斡旋し、原告主張の「調停による協定」のごとき内容を記載した標題「調停書」なる書面が原被告間に取交されたことを認める。

同3の事実を認める。

五、請求原因五、1の事実を認める。

同2の主張を争う。

六、請求原因六、の主張を争う。

(被告の事実上の主張)≪省略≫

(被告の法律上の主張)

一、被告がした第一次免許申請は、所管庁からその認許がなされる可能性が十分あったところ、原告の反対的立場を考慮した愛媛県政財界の有力者が仲裁に入り、双方の円満を計るため原告主張の原協定が取決められたのであるが、それは、いわゆる紳士協定であって、徳義上の責任を定めたものに過ぎず、それによって被告が法律上の義務をおうものではない。すなわち

1 原協定は、その内容より見て明らかなとおり、原告と被告の合弁による乗合自動車事業専門の新会社を設立して、これに奥道後の観光客のみを取扱わせることにより、原被告の対立的立場を解消しようとするものであって、それは、新会社の設立とその将来の構想を示したものに過ぎない。

2 原協定には新会社設立の時期方法等の定めがなく、さらには、双方会社の取締役会の決議もなされていないのであるから、その標題が「契約書」となされているけれども、それにより法律上の権利義務を定めたものとは言えず、原、被告各代表者と愛媛県知事以下の政界人及び松山商工会議所会頭以下の財界人の名を連ねた文字どおりの紳士協定である。

3 修正協定の覚書においては、新会社の設立に代えて被告の定款の一部を変更し、第一次経営免許申請をそのまま維持することとし、かくすることにより「原協定(契約書)の内容及び効力は左右されない」とするものであるが、原協定が法律上の権利義務を定めたものでないとするかぎり、修正協定もまた同様であり、原協定の約条により、被告が非限定の乗合自動車事業を経営しないことの不作為義務をおうものでない。

二、仮に、協定が原、被告の権利義務を定めた契約であるとしても(三、及び抗弁について同じ)乗合自動車事業を経営することは、憲法第二二条に由来する営業の自由権として自然人であると法人であるとを問わず、私人にも保証せられているものであり、これが経営免許の申請権は何人にも付与せられた公権であって、これに基づく免許は、国家(所管庁)の裁量処分に属し、私人間の契約によって、この国家の権力作用の発動を求める免許申請を禁ずることはできないものというべく、原協定(三)の約条は、この免許申請をまで禁じる趣旨のものでないので、原告は、同約条に基づいて、被告の第四次免許申請の取下手続を請求する権利を有しない。

三、乗合自動車事業は公益事業であって、その経営は社会一般の利益に重大な関係があり、国家の権力作用によってその監督と統制が行われており、原協定(三)の約条及び同約条に反して非限定の経営免許をすることの禁止を規定した同協定(五)の約条は、道路運送法第二〇条にいう運輸に関する協定というべきところ、同法条は「道路運送事業者が他の事業者と運輸に関する協定をしようとするときは、運輸大臣の認可を受けねばならない」と規定しており、協定の成立した時点において、被告は経営免許を受けた道路運送事業者ではなかったので、同法条が直接適用されないとしても、同法条の類推適用ないし法意にかんがみ、右原協定の両約条は、効力を生じていないと解すべきである。

(抗弁)

一、前記のごとく、乗合自動車事業を経営することは、憲法によって保証せられた権利であるから、私人間の契約によって、その能、不能を定めることはできないものであって、原協定(三)の約条により新会社(修正協定による被告)に非限定の乗合自動車事業の経営を禁止したことは、よし、それが一時的にせよ、公の秩序に反する法律行為というべきところ、右禁止によって負担する被告の不作為義務について期限が定められていないので、被告は、永久に非限定の乗合自動車事業の経営を禁止されることとなるのであるが、かくては、憲法第二二条によって保証せられた営業の自由が剥奪され、よって被告の営業の発展が妨げられ、公益に反することとなるので、同約条は、公序良俗に反する法律行為というべく、無効である。

二、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下独占禁止法という)第三条は「事業者は、私的独占又は不当な取引制限をしてはならない」と規定し、同法第二条五項において、私的独占について「事業者が単独又は他の事業者と結合し、若しくは通謀し、その他いかなる方法をもってするかを問わず、他の事業者の事業活動を排除し、又は支配することにより、公共の利益に反して、一定の取引分野における競争を実質的に制限することをいう」と定義し、また、同法条六項において、不当な取引制限について「事業者が契約、協定その他何らの名義をもってするかを問わず、他の事業者と共同して対価を決定し、維持し、若しくは引き上げ、又は数量、技術、製品、設備若しくは取引の相手方を制限する等互にその事業活動を拘束し、又は遂行することにより、公共の利益に反して一定の取引分野における競争を実質的に制限することをいう」と定義しているところ、右にいう「他の事業者を排除し」とは、一の事業者が他の事業者の事業活動に重大な制限を加えることにより、その事業者が競争場裡に伍してゆくことを得しめなくすることと解せられる。

ところで、原協定(三)の約条は、原告が一方的に被告の事業活動に重大な制限を加え、被告をして、バス事業の競争場裡に伍してゆけなくし、松山市内におけるバス事業分野における競争を実質的に制限したものであり、また、取引の相手方(旅客の範囲)を制限する方法によって、被告の事業活動を拘束するものであって、その結果、原告が被告との競合路線における非限定のバス事業を独占する一方、不当な取引制限をし、もって、利用者たる一般大衆に多大の不利益を与えることとなるので、原協定(三)の約条は、独占禁止法第三条に違反して公共の利益と福祉を害するものであるから、公序良俗に反する法律行為というべく、無効である。

三、被告が原協定(五)の約条に反して原告の協議を経ないで第四次免許申請をしたことの正当性については、前記(被告の事実上の主張四、2)のとおりであるが、協定の成立後、原告は、被告に対し、または実質上被告に対する関係において、次に述べるごときかずかずの背信的行為を重ねており、そのうち1は修正協定(二)の約条に、2以下はいずれも原協定の契約書前文に掲記せられてある相互協力及び親善関係保持の精神に反した行為であって、原告がかかる背信的行為をおかしながら、被告に対し、原協定(三)の約条により自己の権利を主張することは信義則上許されないというべきである。すなわち

1 原協定(二)の約条を変更した修正協定(二)の約条により、原告は、被告に対し被告の資本金の三割に当る出資をすることと定められているのに、原告は、その出資をしていない。

2 被告の前代表者坪内は、原協定の契約書前文に掲記せられてある相互協力及び親善関係保持の趣意に則り、昭和三五年一一月二五日に原告の監査役に就任し、以来二回の重任を経たのであるが、昭和三八年にいたり、原告から辞任を要求せられて、形式上任期満了による退任をしたこととせられたが、実際には、正当の理由なくして解任せられた。

3 前記(被告の事実上の主張三、2)のとおり、被告は、第二次免許申請に当り、原協定(七)の約条に基づいて、第一次免許申請書と同一内容(ただし、運行系統(5)を削除)の原案を原告に提示して同意を求めたところ、原告は、第一次免許申請が取下げられたことにより同約条は失効したと主張してたやすくこれに同意しないので、被告は、やむなく、原告の認容する限度に右原案を修正して、原告主張のとおりの第二次免許申請をしたのである。

4 被告は、所管庁から第二次免許申請に対する経営免許がなされることの内報に接して、昭和三九年八月に、西四国ふそう株式会社(以下西四国ふそうという)に対し大型九台、小型二台のバスを発注して開業の準備に着手していた。

ところが、同年九月中に、原告の系列会社たる愛媛日野自動車株式会社(社長及び他の主たる役員も原告のそれと同一)(以下愛媛日野という)から、バスの発注を要請されたので、西四国ふそうに事情を告げて、五台のバスを愛媛日野に対し発注替えしたのであるが、奥道後遊園地の開園が間近かにせまった同年一一月初めにいたり、とつじょ、愛媛日野から右発注を辞退して来たので、被告は、取急いで西四国ふそうに対し再発注したけれども、同年一二月二五日の奥道後遊園地の開園には間に合わず、バスの台数が不足したのでは被告の営業開始が認可されないので、被告は、やむなく、同日から、再発注したバスが出来上り、その引渡しを受けた昭和四〇年一月三〇日までの間、引渡しを受けていた六台のバスのみにより、奥道後の観光客を無料で輸送するを余儀なくさせられた。右のとおり、愛媛日野がみずから進んで希望したバスの発注を辞退したのは、原告(代表者ら)の意思によるもので、それは、被告に対する営業妨害である。

5 原告は、奥道後遊園地の開園日たる昭和三九年一二月二五日から、従前原告の運行系統になかったところの、被告が経営免許を得た運行系統と同一である奥道後―国鉄松山駅間の路線において、二〇分おきに(おおよそ原告と一〇分おきに)直通の非限定のバスの運行を開始したのであるが、原告が被告に対しては、原協定(七)の約条による同意を拒んで第二次免許申請の原案による運行回数を削減しておいて、かような措置にでたことは、特に著るしい背信行為である。

四、協定が成立してから、本訴提起の時点までにすでに一〇年以上の時日が経過し、その間において世情一般に著るしい変化が生じていることはもとよりとして、協定の前提たる事情にも著るしい変更があり、原告がいまなお、協定に基づいて、被告に対し協定上の義務の履行を要求することは衡平の理念に反するので、被告は、原告に対し次に述べる各事情の変更を理由として、本訴における昭和四六年一〇月一五日付準備書面の送達(同月一六日送達)により、原協定及び修正協定による契約を解除したので、被告は、原告に対し非限定の乗合自動車事業を経営しないことの不作為義務をおわない。

1 被告の乗合自動車事業は、国際観光会社の経営する観光事業と一体をなすものであるが、同観光事業の主体をなす奥道後遊園地は、当初四、五〇億円を投じてこれを開発する予定であったところ、昭和三九年一二月二五日の開園以後においても、さらに施設が充実され、昭和四四年三月には一億五、〇〇〇万円余の資金をもって、ホテル奥道後を完成するなどし、観光客の誘致につとめ、その後もボーリング場、ゴルフ場などの施設のほか独身寮、共同住宅等観光事業の付随事業の諸施設も整備されつつある。

2 松山市内においては、三越及びいよてつ・そごうの大デパートの新築ないし増築が行われ、その他いくつかの大型マーケットの開店を見るとともに、これに対する一般商店の対抗意識もさかんで、市街地はとみに活況を呈し、松山城の整備をはじめ、湧ヶ淵公園、成田不動尊新勝寺別院、石手川ダム等の一般観光施設が増えるにしたがい、松山市への観光客が増加しつつあり、1と相まって奥道後遊園地の観光客が増加した。

3 奥道後地区は、奥道後観光施設の開発以前は一寒村に過ぎなかったが、その開発以来予想外に発展し、松山市内の各有力企業及び諸団体等の保養所ないし寮の施設の新設あるいは拡張がなされつつある。

4 ところが、勝手を知らない観光客が被告のバスに乗車して途中下車ができないことを知り戸まどおたり、あるいは、乗務員が利用者に対し、途中の下車(往路)または乗車(復路)できないことを理由に乗車を断ると、乗車拒否だとして抗議されるなどのことがしばしばあり、乗客の増加につれて、乗務員に対する苦情ないし抗議の申出の例がますます多くなった。

5 被告のバス利用の乗客の情況は、午前中においては奥道後よりの復路の便が空いており、午後は奥道後行きの往路の便が空いているところ、一方原告のバス利用の乗客は右と反対であって、ことに通勤通学の時間帯において著るしく、被告のバスが空車で運行しているのに、原告のバスが満員であるという情況であるので、奥道後地区及び沿線の住民は、右の不合理を解消し、原、被告いずれの運行するバスにも自由に乗車できること、すなわち被告の限定免許を非限定にすることを熱望するようになった。

(被告の法律上の主張に対する原告の反論)

一、1 被告の主張一、の主張を争う。

2(一) 被告は、原協定(一)及び(二)の約条における、原被告合弁の新会社を設立して、この新会社をしてバス事業を行わせることにした点をとらえて、原協定が新会社の設立とその将来の構想を示したものに過ぎないと主張するもののごとくであるが、なるほど、新会社を設立することの合意については、その内容が原、被告について法律上の規制を受けるに足るまでの具体性に乏しいので、これをもって、徳義上の責任を定めたものであるという被告の主張はもっともである。

(二) しかしながら、原協定の一部に、右のごとき紳士協定的な約条があるからと言って、他の約条までもすべて徳義上の責任を定めたものと解すべきでなく、原告は、被告が奥道後の観光客を対象とするバス事業を経営することに同意すると引換えに、自らの営業権を擁護するため、原協定(三)の約条により、新会社(修正協定による被告)をして右以外の通常旅客を取扱わせないことの確約を得たものであって、同約条における合意は、法律上の権利義務を定めた法律行為であると解すべきである。

二、1 被告の主張二、の主張を争う。

2(一) もともと、乗合自動車事業を含む道路運送事業は、私企業として私人が自由に選択しうる職業の自由の範囲に属するものであるが、その事業の性質上公共の福祉に重大な影響があるので、これを道路運送法によって国の免許を要する事業とせられているのであって、私人間の契約によって、その事業の開始、継続、廃止などについての権利義務を定め、さらにその権利義務を変更することは適法であって、公益上の見地から、その行為について国の監督を受けることと定められておるに過ぎず、例えば、重要な基本的人権である訴権についても、仲裁手続の規定に基づく私人間の契約によりこれを制限しうるものであり、また第一審判決に対する控訴権放棄を合意することも適法であることの事例を考えれば、限定の乗合自動車事業の経営免許が予定せられている新会社(修正協定による被告)をして、非限定の同事業を行わしめないことの契約は有効であると解すべきである。

(二) 原告が本訴において被告の第四次免許申請の取下げを求めるのは、被告が原協定(三)の約条により定められた非限定の乗合自動車事業を営まないことの不作為義務をおいながら、同免許の申請をしたことにより、被告が右不作為義務違反の行為に着手したと推認されるので、その差止めをする目的によるものである。

三、1 被告の主張三、の主張を争う。

2 協定が成立したのは、昭和三五年九月であって、その当時被告は乗合自動車事業者でなかったから、原協定は道路運送法第二〇条所定の運輸に関する協定には当らず、同法条の適用がないのはもちろん、類推適用もない。

(抗弁に対する原告の答弁及び主張)

一、1 抗弁一、の主張を争う。

2(一) 原協定(三)の約条に、期限の定めがないことは被告主張のとおりであるが、原協定の契約書前文で「奥道後の観光客の輸送については、原告と被告とが新会社に協力する」旨を約定しており、同協定(五)の約条には「被告と新会社は、原告の路線の営業に影響のある事項は原告と協議して定める」と定められているので、同約条によると、新会社(修正協定による被告)の営業の自由が永久に剥奪されるものとは言いがたく、原告としては、被告より合理的妥当な協力方の要請があれば、これに応じる用意がある。

(二) また、この種契約の特質上期間を特定しがたいけれども、被告が抗弁四、において主張するごとく、社会的情勢の変更により、その存在が不相応となったときは、これを一方的に解除しうることの事情の変更の原則の適用が行われうることから、被告の営業の自由が永久に剥奪されるとは言いがたく、いずれにせよ、期限のないゆえに原協定(三)の約条が公序良俗に反するとは言えない。

二、1 抗弁二、の主張を争う。

2(一) 独占禁止法第三条に「事業者は私的独占又は不当な取引制限をしてはならない」と規定しており、同法第二条五、六項に被告主張のとおり私的独占及び不当な取引制限の定義が掲げられていることは争う余地がないが、一方同法条四項には、競争の定義として「二以上の事業者がその通常の事業活動の範囲内において、且つ、当該事業活動の施設又は態様に重要な変更を加えることなく、(イ)同一の需要者に同種又は類似の商品又は役務を供給すること、(ロ)同一の供給者から同種又は類似の商品又は役務の供給を受けることの行為をし、又はすることができる状態をいう」と規定しているので、競争とは現実的なそれを指すものであるところ、被告は、協定の成立した当時、観光施設の開発事業を専業としており、乗合自動車事業の免許を受けていなかったし、同事業の人的物的設備も具えていなかったので、原告と被告とは、対立した事業者として競争できる立場でなく、原協定(三)の約条により、原告が被告の事業活動に重大な制限を加えることとはならず、もとより、協定が第三者たる事業者の事業活動を制限する趣旨で締結されたものでなく、その結果も発生していないので、同約条が独占禁止法第三条に抵触するものではない。

(二) 独占禁止法第二一条は「鉄道事業、電気事業、瓦斯事業その他その性質上当然独占となる事業を営む者の行う生産、販売又は供給に関する行為であって、その事業に固有なものについては、これを適用しない」と定めており、いわゆる自然独占事業は、その性質上競争企業の併存が事実上困難であるとともに、その事業の経営を自由に放任するときは、国民生活上重大な影響を及ぼすところから、一方においては、その事業の開始を自由に委せず免許制をとってその独占に法的保護を与えるとともに、他方においては、料金の決定その他の事業活動に対し高度の監督統制を加えることにより需要者の保護を図っているのであるが、乗合自動車事業も自動車運送事業の一として、右独占禁止法第二一条の適用のある公益上の独占事業であって、原告は、協定成立以前から乗合自動車事業を独占的形態で営業して来たものであり、協定によって非限定の乗合自動車事業を独占しようとするものでないので、原協定(三)の約条が独占禁止法第三条に抵触することはない。

三、1 抗弁三、の主張を争う。

2(一) 原協定(二)の約条により、新会社の資本構成が原告三割、被告七割とされていたが修正協定により、原告から被告に対しその資本金の三割の出資をすることにあらためられたところ、原告(代表者)は、被告が経営免許を得た直後の昭和三九年一一月中に、被告に対し右出資の申入れをするとともに、この社外出資をすることにかかる株主に対する責任と取締役としての忠実義務のうえから、被告の資産内容を知っておく必要があったので、被告に対し財務三表の提出方を求めたところ、坪内は、原協定の契約書にその提出義務の記載がないことを理由として、右原告の要求を拒否し、また、そのころ、坪内から、原告側から被告への出向役員の派遣について原告の意向を打診して来たので、原告は、非常勤取締役及び監査役各一名の派遣を希望したところ、坪内は、当初右原告の意向を諒承しておきながら、間もなく態度を変えて役員の出向を受入れがたいこと、及び強いてその派遣を要求するのであれば、出資しなくてもよい旨申入れて来たので、この問題は打切りとなった。

通常、社外出資としてその会社の資本の三割にも当る高額の出資をする場合には、取締役及び監査役の一、二名を出向させることが財界一般の慣例であるのに、被告が原告の正当な申出を拒否し、さらに出資をも断って来たのであるから、このことに関して原告に背信行為はない。

(二) もと被告の代表取締役坪内が昭和三五年一一月二五日に原告の監査役に選任され、引続き二回再任され、昭和三八年一一月二五日に退任したことは被告主張のとおりであるが、同人の退任は自らの申出によった辞任であって、実質的解任というものではなかったので、このことに関しても、原告に背信行為はない。

(三)(1) 原協定(七)の約条により、原告は、新会社に対し第一次免許申請の路線に同意することと定められており、第一次免許申請は被告がこれを取下げて新会社があらためて申請することとなっていたところ、修正協定により、同申請はこれをそのまま維持することとなったので、原告は、同約条により被告に対し同申請に対する昭和三五年一〇月五日付同意書を交付していたところ、被告が昭和三七年二月二二日付で同申請を取下げたので、原告の同意書も無効に帰したのであるが、昭和三九年六月二九日に、被告が第二次免許申請をなすに当り、原告は、原協定の契約書前文に示された相互協定の精神に立脚して、同申請における被告の運行系統の路線について同意の立場を持し、運輸協定を締結したのであって、以下述べるとおり、原告に背信行為はない。

(2) 運輸協定において原告が同意した第二次免許申請の運行系統及び回数が、第一次免許申請のそれと同一でないことは被告主張のとおりであるが、原協定(七)の約条において、原告が新会社(修正協定による被告)に同意を与えることを約したのは、第一次免許申請の路線であって、原協定(六)の約条により運行系統、運行回数、運行時刻、運賃等事業計画の内容については、原、被告間で運輸協定を締結し運輸大臣の認可を受けると定められているところであって、原告と被告とは、同約条により協議を重ねた結果、双方の合意に達し、第二次免許申請書にこの運輸協定書を添付し、かつ運輸協定認可の申請をしたのである。

(3) 被告は、運輸協定の協議に当り、被告が原告に対し提示した第二次免許申請書原案の運行回数が原告の弾圧により削除を余儀なくさせられた旨主張し、このことが原協定の契約書前文に示された相互協力及び親善保持の精神に背馳すると主張するけれども、運輸協定は事業者間において公共の福祉に重点をおき、相互の事業の進展を図る目的のもとに検討協議のうえ締結されることを通常とし、その性質上、一方の希望や主張がそのまま全面的に貫徹されない場合のあることは当然である。

(4) なお、被告の第二次免許申請書の原案は、請求原因二、1の第一次免許申請の内容と同一のものであったが、それはまったく杜撰なもので、輸送規模に対応する車輛の運行回数と乗務員の仕業(交替)の編成は物理的に不可能なものであったので、原告は豊富な経験に基づいて、被告に対し適切な助言をして請求原因三、2の第二次免許申請の内容のとおり修正させたのであるが、この修正によって使用車輛一一輛に見合った運行回数が割出されたが、乗務員数は運転士及び車掌各八名の増員を要したのである。

(四) 被告が第二次免許申請書に記載した使用車輛はふそう九輛と三菱二輛の計一一輛であったが、原告が被告の経営免許申請に同意している関係があって、原告の傍系会社である愛媛日野から被告に対し使用車輛の一部の発注を受けたい旨申入れがなされ、被告がこれに同意して、使用車輛の半数を愛媛日野に対し発注することとなり、昭和三九年八、九月中に双方間で車輛の設計、価格、納入時期等について協議がなされ、一〇月二日に被告から愛媛日野に対し運転士及び車掌の提供方の申入れをしたけれども、愛媛日野は、(イ)被告の呈示した車輛は、その仕様、価格の点で無理であること、(ロ)限定の経営免許事業に使用する車輛としては不相応な仕様、価格であって、愛媛日野の経営方針及び日野本社(東京)の意向にもそわない、(ハ)車輛の乗務員の提供申入れに応じられない等の理由により、右被告の発注の申出を辞退したのであるが、その日時は、被告主張のごとく一一月初めではなくして、一〇月一三日であったので、被告は、その後の発注によって、一二月二五日の奥道後遊園地の開園当日までに所要の車輛を入手する可能性があったし、現実にも同日までに西四国ふそうからその後発注した分をあわせて一一輛全部の納入を受けており、被告の営業開始が遅れたのは、当時運行路線の付替工事が行われていたことと、被告の車庫の整備が遅れていたため運輸開始確認申請の手続が未了であったによるものであり、ともかく、原告が愛媛日野に働きかけて被告の発注を辞退させたようなことはないし、愛媛日野の受注辞退により被告の営業に支障を来たしたこともないので、原告に背信行為はない。

(五)(1) 原告が奥道後遊園地の開園当時から、被告が経営免許を得た運行系統と同一である奥道後―国鉄松山駅間の路線において直通バスの運行を開始したことは、被告主張のとおりであるが、この被告の路線は、従前から原告が営業して来た河中線と競合しており、原告は、昭和三八年三月に国鉄松山駅―岩堰ヒルの運行系統の路線を新設して営業していたので、原告が非限定の乗合自動車事業者として所管庁の認可を得て、従前の運行系統の延伸ないし増便をして沿線旅客の利益を図ることは、当然になすべき責務である。

(2) 前記(三)(4)のとおり、被告の事業計画では、被告の見込みによる輸送需要に対応する供給が十分でなかったので、原告は、原協定の契約書前文の相互協力の精神から、被告の輸送力で充足し得ない部分を補充するため被告と協議のうえ、既設の国鉄松山駅前―岩堰ヒル前の路線を延伸して、国鉄松山駅前―奥道後線として開設したものであるが、被告の第二次免許申請による経営免許において、右被告の路線については途中停留所として松山市駅前一個所が指定されたのみであったので、原告のバスが途中乗降する旅客のために必要でもあり、奥道後の観光客の輸送のためにも必要であったから、原告の右路線の開設は、被告に対する協力行為でこそあれ、背信行為には当らない。

四、1 抗弁四、の主張を争う。

被告主張のごとき事情の変更はなく、あるいは当初から予想されていたものであって、解除権の行使を正当づけるに足りないから、被告の解除の意思表示は、効力を生じていない。

2(一) 被告は、近年松山市街地及びその周辺における観光行楽施設と観光客の増加にともないバス乗客が増加したと主張するが、近年においてバスの需給関係に著るしい変化は生じておらず、むしろ市街地周辺においては、交通の過密ことに自家用自動車の普及進展により、また郡部においては人口の過疎化傾向により、バスの需要は停滞ないし減少化しており、バス事業をとりまく経営環境は、きびしい情勢にある。

(二) 被告の主張5における被告のバスの片道輸送の状態が生じることは、限定免許事業における性格から当然である。

(三) 被告は、被告の第三次免許申請に対する原告の第一次訴訟に関する紛争が「調停による協定」により終結した際の調停書に「覚書」が付属文書として添付されており、右覚書において「将来情勢の推移により、被告が非限定の乗合自動車の経営免許申請ができる」旨記載されていたと主張するところ、原告は、この覚書の存在を否定するものであるが、よし、その覚書が存在し、被告主張のごとき文言の記載があるとしても、被告は、同協定の趣旨にしたがい請求原因四、3のとおり、停留所の増設等の認可も得て限定の制限が緩和されていることでもあり、非限定の経営免許を必要とするほどの情勢の変化はない。

(求釈明に対する原告の主張)

一、原協定(三)の約条における「新会社(修正協定による被告)の乗合自動車事業は、奥道後遊園地の旅客の輸送に限りこれが免許は限定免許とし、他の旅客は取扱わない」との定めは、原告が、限定免許の対象たる奥道後の観光客を新会社と競争的立場において輸送ができないとする趣旨を含むものではなく、その理由は、前記抗弁についての答弁及び主張三、2(三)の(2)(3)(4)及び同(五)の(1)(2)のとおりである。

二、昭和三九年一二月二五日以前における原告の営業路線たる河中線及び同月二六日に開設した奥道後線に延伸する以前の運行系統である岩堰線の各運行状況は別表(一)のとおり、奥道後線を開設した当時の同線及び河中線の運行状況は別表(二)のとおり、昭和四〇年度から昭和四九年度まで同各線の取扱旅客数は別表(三)のとおりである。

(求釈明に対する被告の主張)

一、原協定(三)の約条は、徳義上の義務として、原告が新会社(修正協定による被告)の限定免許の対象たる奥道後の観光客を新会社と競争的立場において輸送できないとする趣旨を含むものであり、原協定が法律上の契約であるとすれば、原告が同様の法律上の義務をおうことを定めたものである。

二、被告の昭和四〇年度から昭和四九年度までにおける各運行系統路線の取扱旅客数は別表(四)のとおりである。

第三証拠関係≪省略≫

理由

第一争いの基礎たる事実

一、次の事実は、当事者間に争いない。

1  原告が請求原因一、1のとおりの、被告が同2のとおりのいずれも乗合自動車事業を経営する株式会社であること。

2  被告が請求原因二、1のとおり、第一次免許申請をしたこと。

3  右第一次免許申請にかかる運行系統の路線が原告の乗合自動車事業上現に営業中の路線(別表(一)の河中線)と競合する(同一の意味でない)ものであったこと及び原告が同申請に反対の立場をとり、道路運送法施行規則第七三条の4の規定に基づく聴聞申請をしたところ、愛媛県当局及び県政財界の有力者が原、被告間を斡旋し、その結果、昭和三五年九月八日に、双方間に、その前文に双方及び新会社がたがいに協力し、緊密な親善関係を保持することを基調とする旨の記載のある標題「契約書」なる書面により、請求原因二、2のとおりの原協定が成立したこと。

4  原協定の成立した日の翌九月九日に、原告と被告との間において標題「覚書」なる書面により、請求原因二、3のとおりの修正協定が成立したこと。

5  被告が請求原因三、1の経過により、第一次免許申請を取下げたこと。

6  昭和三九年六月にいたり、国際観光会社の観光施設の開園の見通しが立ち、被告が同月二九日付をもって、請求原因三、2のとおりの第二次免許申請をしたこと。

7  被告は、第二次免許申請に当り、原協定(七)の約条により第一次免許申請と同一内容の申請書(ただし、運行系統(5)の奥道後―三津浜港の路線を削除)を提示して原告の同意を求めたところ、原告がこれに応じないので、被告は、原告の認容する限度に原案を修正して、右第二次免許申請をしたこと。

8  第二次免許申請の事前に、原告と被告とは、運輸協定を締結し、同運輸協定書を同免許申請書に添付するとともに、道路運送法第二〇条の規定に基づき、原告と被告とが連名をもって、右運輸協定の認可を申請したこと。

9  請求原因三、4のとおり、第二次免許申請による経営免許が認許されるとともに、運輸協定が認可され、被告が昭和四〇年一月三一日から同免許による乗合自動車事業を開業したこと。

10  原告は、第一次免許申請の当時、既設の営業路線として別表(一)の河中線一日八回の運行をしていたところ、昭和三九年一二月二五日に奥道後遊園地が開園され、これと同時ころ、国鉄松山駅―奥道後(宿野々橋)線を開設して、その運行を開始したこと。

11  被告が昭和四一年七月二六日付で非限定の経営免許による第三次免許申請をしたが、請求原因四、2のとおりの経過により、このことに関する原、被告間の紛争が愛媛県政財界の有力者の斡旋により「調停による協定」により終結し、被告が同申請を取下げたこと。

12  被告は、右「調停による協定」の趣旨にしたがい、従前の運行系統の路線について、昭和四三年一二月に停留所一二個所増設、昭和四四年一二月に途中下車停留所七個所指定、昭和四五年一月に奥道後―堀江港の路線について五回に増便することの各認可を受けたこと。

13  被告が昭和四六年二月二日付をもって、請求の趣旨1のとおりの路線並びに運行系統及び回数による非限定の経営免許を申請したところ、請求原因五、1のとおり公示がなされたこと。

二、次の1の事実は、求釈明に対する原告の主張として原告が、2の事実は、同じく被告の主張として被告がそれぞれ主張して自認するところであるから、その事実が存在すると推認するを相当とする。

1  昭和三九年一二月二五日以前における原告の営業路線たる河中線、及びその頃に原告が開設した奥道後線に延伸する以前の岩堰線の各運行状況が別表(一)のとおり、奥道後線を開設した当時の同線及び河中線の運行状況が別表(二)のとおり、昭和四〇年度から昭和四九年度までにおける同各線の取扱旅客数が別表(三)のとおりであること。

2  被告の昭和四〇年度から昭和四九年度までにおける各運行系統路線の取扱旅客数が別表(四)のとおりであること。

第二協定成立までの経過及び協定の基本的目的

(協定成立までの経過)

一、前記第一の一の当事者間に争いない1ないし5の事実、≪証拠省略≫を総合すると、

1 松山市は、戦後つとに道後温泉を中心とした国際観光文化都市として指定されていたが、同温泉の泉源が貧弱であって、多数の観光客を吸収する余力に欠けてるいので、松山市当局は、奥道後に新温泉を開発し、あわせて観光施設を整備して京阪神地方から観光客を誘致し、観光事業を地場産業の一つとし観光文化都市の実を挙げようと企画し、愛媛県当局はじめ県政財界の有力者がこの企画に賛同して、適当な企業者を物色し、当初原告に対しても働きかけたが、その賛同を得られなかったところ、ついに坪内に白羽の矢を立て度々説得を重ね、県政財界人等が組織する奥道後観光開発促進協力会(会長愛媛県知事・以下協力会という)がその事業の側面的協力をするとの確約のもとに、同人がこの観光事業を引受けることに同意したこと。

2 坪内は、昭和三五年二月に、被告会社を設立し、当時用地の買収に着手し、一部用地として愛媛県及び松山市から河川敷を借受け、昭和三七年末までに第一期工事の完成を目指して温泉及び観光施設の開発工事に着手したが、これと並行して観光客の足となる交通機関を確保する方策を検討したこと。

3 奥道後は、松山市の陸の表玄関である国鉄松山駅から道後温泉を経て約一〇キロメートルの地点にあり、当時原告の既設のバス路線たる松山市駅―米野々間の河中線(一日八往復)の途上にあったのであるが、坪内というよりも、協力会のメンバーが進んで、原告に対し、奥道後の観光客輸送について協力方を求めてその意向を打診したところ、被告の企画が第一次免許申請のごとく、奥道後―国鉄松山駅の路線について多数回の運行を予定していたため、原告は、採算が合わないとの理由をもって右申出を断ったこと。

4 当時県下における乗合自動車事業者として松山市に乗入路線を有していた宇和島自動車株式会社及び瀬戸内自動車株式会社の両者からも、坪内に対し、奥道後までの路線延長の申入れをしたが、同人はこれを断り、被告みずからが観光事業の一環として、奥道後の観光客のみを取扱うところの限定の乗合自動車事業を経営しようと立案し、協力会もこの案に賛同したので、被告は協力会のメンバーその他の連署による副申書を添付して第一次免許申請をしたところ、原告がこれに反対的立場をとって、聴聞申請をしたこと。

5 ここにおいて、協力会のメンバーで南海放送株式会社社長たる山中義貞及び株式会社伊予銀行常務取締役渡部七郎の両名が協力会を代表して、原告会社代表者宮脇先と被告会社代表者坪内との間を斡旋して、昭和三五年九月八日に、甲第一号証の契約書の内容たる原協定の合意が原告と被告との間に成立したが、翌九月九日に宮脇と坪内との間において直接的な交渉により、甲第二号証の覚書の内容たる修正協定が成立したこと

の諸事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

二、≪証拠省略≫を総合すると、原協定の契約書及び修正協定の覚書の原本は、いずれもその日付の後に作成され、契約書について立会人となった愛媛県知事以下の関係人全員の調印が終ったのは、昭和三五年一〇月二〇日ころであったと認められ、また、≪証拠省略≫によると、修正協定の成立に際し、原告から被告の役員として一、二名を出向させることの合意が覚書以外の了解事項として取決められていたことを認めることができる。

(協定の基本的目的)

一、被告は、第一次免許申請において年間取扱旅客数を七〇万人と見込んでいた(弁論の全趣旨として昭和四〇年度における原、被告双方が取扱うた奥道後の観光客はおおよそ合計して一二〇万人であると認められる)ことと、前記「協定成立までの経過」一、の1ないし5の認定事実を総合すると、第一次免許申請が所管庁により認許されることの可能性がなかったとは言えず、むしろ、可能性があったと推認するも不当ではない。

二、しかるに、愛媛県政財界人が原被告間を斡旋して、原協定を締結させた骨子は、原告が本来交通運輸業者として多年にわたり中予地区における乗合自動車事業を独占的に経営し、地方における産業と文化の発展に多くの寄与をしており、奥道後が原告の既設営業路線上にあり、原告のいう既得権があることに対比して、やがて見込まれる奥道後の観光客の輸送需要は、もっぱら被告が投資して経営する観光事業によるもので、観光客の輸送については双方に発言力があり、利害が対立する関係にあるので、この双方の利害を調整する場として、双方合併による新会社をして奥道後の観光客の輸送に当らせようと計ったことにあるというべきである。

三、すなわち、本来の観光事業の経営を目的とする被告が乗合自動車事業から手を引き、新会社をしてこれに当らせることとするも、本来交通運輸事業の経営者である原告としても、奥道後の観光客の輸送はこれを新会社に委ねることとして、その輸送について競業しないことの基本的原則を定めたものと解するを相当とし、細説すると、その理由は次のとおりである。

1 原協定が締結せられた経緯が前記認定のとおりであって、もともと、原告が奥道後の観光客の輸送について被告側からの協力の要請を断ったことが被告の第一次免許申請の動機であった。

2 原告が系列会社と同一運輸系統の路線において、奥道後の観光客を対象として競業することが建前であったとすると、新会社を設立する趣旨が不分明に帰し、第二次免許申請による経営免許の認許後、実際に行われているごとく、原告と被告とが運行回数の割当てをする方法で足りたと言うべきである。

3 原協定(三)の約条で「新会社が第一次免許申請書のとおり限定の経営免許を受け、奥道後遊園地発着の旅客に限り輸送する」旨を定めていることは、第一次免許申請書における奥道後―国鉄松山駅の路線については一日の運行回数を一〇五回とした―他の路線については問題点がないので、以下主として同路線の運行関係について説示する―ことは、被告がこの事業計画に基づいて奥道後観光客をもっぱら被告のバスで輸送する趣意によったものであると推察するにかたくなく、この数回は一〇分間隔として一七時間余間断なく運行することであって、原告のバスが同一路線に介入する余地はないと言えるところ、同約条では、原告においても新会社が右事業計画によって運行することを承諾していると解せられるから、同約条における「奥道後遊園地発着の旅客の輸送に限る」との字義は、反面「奥道後遊園地発着の旅客以外の輸送をしない」ことであるとともに、「もっぱら、奥道後遊園地発着の旅客の輸送をする」との趣旨に解することができる。

4 修正協定により第一次免許申請をそのまま維持することになったことより、原告が同申請に対する同意の意思表示の方法として、昭和三五年一〇月五日付同意書を被告に交付していることは、同申請がそのまま認可せられることがあり得ることも予期していたものというべきであるが、前記のとおり、その場合、原告が少くとも同申請の奥道後―国鉄松山駅の同一路線に介入して奥道後の観光客を輸送する余地はなかったというべきである。

5 原協定が締結された経緯と、原協定が限定の経営免許による乗合自動車事業の経営を新会社をして行わしめることを定めたことの事実関係のもとで、奥道後の観光客の輸送について、原告が新会社と競業することの権利ないし利益を留保したものとすれば、それは、きわめて重要な約条であるから、これを原協定の契約書に、その競業する区分割合とあわせて明文化して疑義を避けるべきであったはずであるのに、その約条がないことは、関係人が右にいう競業避止義務を新会社と原告とがたがいに負担することを当然視していて、原告と被告とが黙示的に合意したものと推測できる。

四、原告は、原協定(七)の約条の文言のごとく、第一次免許申請の路線についてのみ同意したのであって、原協定(六)の約条により、新会社の事業開始に当って、運行系統、運行回数等事業計画の内容については、原告と新会社との間で運輸協定を締結する際協議して定めることを約定しているので、原告が奥道後の観光客の輸送について新会社(修正協定における被告)と競業できる建前であった旨主張するのであるが、この主張は失当である。すなわち

1 原告は、原協定(三)の約条において「新会社が第一次免許申請書のとおり限定免許を受け奥道後遊園地発着の旅客に限り輸送する」ことを承諾していると解すべきであるから、同申請にかかる運行系統の路線において、新会社(修正協定における被告)が乗合自動車事業を経営することに同意しておるので、原協定(七)の約条において、必ずしも、このことを再説するまでのことはないというべきところ、同約条の文意は、被告が第一次免許申請書を取下げ、新会社があらためて第一次免許申請書の内容のとおりの経営免許の申請をするに際しては、同申請による経営免許の認許を容易ならしめるため、原告が新会社に対し書面をもって同意の意思表示を与えることを約諾したものと解するを相当とし、前記のとおり、原告が昭和三五年一〇月五日付同意書を交付していることにより、ここにいう路線は、同経営免許申請における運行系統及び運行回数を意味すると解すべきである。

2 したがって、原協定(六)の約条における運輸協定は、新会社が第一次免許申請と同一内容の事業計画により申請する場合、原告が、原告の既設路線たる河中線等との関係において運行回数、運賃等を協定することを示したものであると解するを相当とする。

― もっとも、右のごとき事前の運輸協定では、実際に認許される経営免許の内容と符合しないことがあり得るから、一部については事後に確定することとなるべく、後記認定のごとく、第二次免許申請の際の運輸協定においては、運行回数及び運行時刻については「別途協議する」と定められている。

五、なお、証人坪内寿夫(第二回)の証言によると、原協定成立の過程において、当事者及び関係人の間において、原告の競業避止義務のことは、とくに協議の対象とならなかったが、同証人(被告代表者)は、被告が第一次免許を申請するにいたった事情、すなわち、被告側から原告に対し奥道後観光客の輸送についての協力方を求めたところ、原告は採算が合わないとの理由で右申出を断ったことでもあり、新会社が限定の経営免許を得て営業する以上、原告がこれと競業することはないと考えていたことを認めることができ、原告の全立証によるも、原協定成立の過程において、当事者及び関係人の間において、原告が奥道後の観光客を新会社と競合して輸送できることの合意がなされたことの証拠はないので、右坪内証言をあわせ考えて、前記三、の結論たる認定は相当とすべきであって、この認定に反する趣旨の≪証拠省略≫は措信しがたい。

六、要するに、修正協定によって、被告はもっぱら、奥道後の観光客を輸送し、原告は、奥道後の観光客を取扱う目的をもって、被告が免許を受けた事業計画の運行系統と同一の始終点による新路線を開設したり、既設の河中線を増便したりしないで、同路線及びその他の競合する既設路線において、原則として奥道後の観光客以外の通常の旅客を輸送するものと定められたものであって、修正協定の基本的目的は、原協定における新会社に代る被告と原告とが右旅客の輸送区分にしたがい、たがいに競業避止義務を負担することにあったというべきである。

― ここに「もっぱら」または「原則として」とは、たまたま、被告のバスに通常の旅客が乗車し、あるいは原告のバスに奥道後の観光客が乗車することがある例外をまで禁止する趣意ではない。

第三争点の判断

(被告の法律上の主張一、について)

一、原協定(一)及び(二)の約条による新会社設立について、その時期方法、資本金、発起人等の定めがなく、株式会社の設立行為は、七名以上の発起人の合同行為であることを考え合わすと、同各約条において原告と被告に対し予想し、あるいは期待すべき行為は、これを法律上の権利義務として観念し得ないものであり、また、修正協定(二)の約条による原告の被告に対する資本金三割に当る資本参加についても、その時期方法、金額等の定めがなされていないので、この場合も、原告と被告とに対し予想し、あるいは期待すべき行為を法律上の権利義務として観念し得ないものであるから、この点を重視すると、協定が徳義上の責任を定めた、被告のいう紳士協定であるとの主張は一理あるといえないこともない。

二、しかしながら、原協定の成立に際し、新会社設立の実現が困難視されるような事情があったとは認められず、新会社が実際に設立せられて原協定の定めにしたがうことの意思を表明したときは、新会社は、原協定上原告との関係における利益を主張し、不利益を負担することとなり、前記認定の競業避止義務をおい、これが利益と不利益とは、財産上の損益にかかわるものであるから、双方は、司法上の救済手段によって利益を主張し、反面不利益を強制されうるものと解すべきであって、その利益と不利益とは、法律上の権利であり義務であるとしなければならない。

したがって、原協定は、これを全体としてみるとき法律上の契約であり、新会社との関係においては、第三者のためにする契約であって、新会社の設立は、原協定の効力発生のための条件、ないし不可欠の前提要件であったというべきである。

三、修正協定においては、原協定における新会社に代る被告が直接の当事者となったので、その成立と同時に、原協定における新会社と原告との関係について生ずべき法律上の権利義務が被告と原告との間にただちに発生し、双方が前記認定の競業避止義務を負担し、被告については、非限定の経営免許による営業をしないことの不作為義務が生じると解すべきであるが、この場合は、原協定における新会社の設立に代えて双方の利害関係調整の方法たる原告の被告に対する資本参加(あるいは、これに加えて原告から被告に対し派遣する出向役員の就任)が実行されねばならぬ道理である。

しかるに、限定の経営免許を得ることの利益が被告にあることと資本参加の手続の性質上、被告において能動的に作為してその実現を図る必要があり、その実現を図ることは、被告が負担する条理上の義務であるというべきであるので、原告は、被告の限定免許申請に対し原協定(七)の約条による同意を与える義務の履行を拒むこと、すなわち同義務の履行について延期ないし同時履行の抗弁を主張することができると解するを相当とする。

もっとも、修正協定の成立により、第一次免許申請を維持することとなり、実際には、前記のとおり、原告は、昭和三五年一〇月五日付同意書を被告に交付したけれども、このことは、いずれ、原告の被告に対する資本参加(あるいは、これに加えて原告から被告に対し派遣する出向役員の就任)が近い将来において実現される見通しのもとに、原告があえて右の抗弁を主張しなかったものと認められるにとどまり、その後の被告の免許申請について、原告が右抗弁権を放棄したものとまでは認められない。

四、いうまでもなく、右判断の結果は、修正協定によって、被告と原告とが奥道後の観光客とその他通常の旅客との区分により、たがいに競業避止義務を負担するとの前提によるものであって、もし、原告が奥道後の観光客について、被告と競争的に輸送できる権利ないし利益を留保していたものであるとすれば、原協定にはその競争の限界が特定されておらず、しかも、その限界を画する基準を示したと認めるに足る約条がないので、それは、もっぱら、原告の自発的抑制に委されて、被告は、原告の一方的裁量により定められたところに盲従しなければならぬ立場におかれ、司法的救済を求める手段もなく、ただ、原告の徳義的な良心に依存するほかないこととなるので、もし、そうだとすれば、原協定は、まさに、被告の主張する徳義上の責任を定めた紳士協定であるというべきであって、原告は、原協定(三)の約条により、被告に対し非限定の経営免許による乗合自動車事業の経営をしないことの不作為義務の給付を求める権利を有しないとすべきであるが、協定の基本的な目的が前記のとおりであると認められるので、以下順次争点について判断を進めるべきである。

(被告の法律上の主張二、について)

一、道路運送法により乗合自動車事業を経営しようとする者は、同法所定の申請書により所管庁に対し同事業の免許の申請をなし、所管庁は、その申請に対し許否の裁決をなす義務があるというべきであるから、申請者の申請行為は、右所管庁の裁決を求める権利であると解するのを相当とし、それは、同種の諸官庁に対する申請行為等とともに個人的公権と称させられるものの一種であるというべきである。

二、原協定(三)の約条により、新会社が非限定の乗合自動車事業を経営しないことの不作為義務をおうことを原告に対し約諾するものであるから、このことは、当然に非限定の経営免許申請をしないことの不作為義務をも包含すると言わざるを得ず、新会社は、乗合自動車事業の経営免許の申請権を放棄するものと認めるを相当とし、修正協定においては、被告が同様に同免許の申請権を放棄したものというべきである。

三、ところで、個人的公権は、私権と異り、たんに個人的利益のために与えられるものではなく、これを個人に享有せしめることが同時に国家ないし社会公共のためにも必要であることに基づくものであるから、財産上の利益を目的とした私権とはおのずからその性質を異にし、みだりにこれを処分し得ないものと解せられる。

しかしながら、ひとしく公権と言っても、いくつかの類型があり、一身専属的なものとしからざるもの、その行使が義務づけられているものとしからざるもの、主として財産上の利益を目的としたものとしからざるもの等に区別せられるが、一身専属的でなく、その行使が義務づけられておらず、しかも主として財産上の利益を目的としたものは、一般の私権の性質と共通しており、公権性が薄いので、必ずしもこれを私権と区別して私人間の契約によって放棄し、あるいは譲渡できないとする根拠に乏しく、制度としてその公権を個人に付与した実定法の趣意と目的等に照して、その放棄あるいは譲渡が公益に反しない場合には、これが許されるものと解するを相当とする。

四、本件における免許申請の目的たる乗合自動車事業は、憲法によって保証せられた国民の職業選択の自由の対象たる職業の範囲であるとは言え、特定の者が申請に基づく免許を得てはじめて経営しうるところの事業であって、一般の警察許可の対象たる自由職業とは異っており、その経営が公益事業として一定の地域において公共のため欠くべからざる事業でありながら、自由競争に委ねることを適当としないので、事業者の数を制限する必要があり、所管庁の監督と指導のもとで、その事業が独占化することが通常であって、既免許の事業者があるときに、さらに、その経営免許の申請をしても、それが認許される可能性は少いか、またはないのが通常であると言えるので、私人間の契約によって、その経営免許の申請権を放棄しても、そのため直接的に公益が害されることはないから、これを放棄しうることがむしろ通常であると言うべきである。

これを要するに、乗合自動車事業の経営免許の申請権は、一身専属的でなく、その行使が義務づけられておらず、その申請に基づく免許を得ることの可能性が少いことにより、権利的性格がきわめて薄いと言えるのであるが、さらに、免許による事業を第三者に譲渡し、また、その事業が相続の対象となることから考えて、これが経営免許の申請権は財産上の利益を目的としたものと言えるので、私権的性格が著るしいから、他の一切の事由を抜きにして考えるとき、その放棄により公益が害されることはないと認められ、私人間の契約によってその放棄をなし得ると解するを相当とし、乗合自動車事業の経営免許の申請権が公権であるとの理由によって、その放棄が許されないという被告の主張は失当である。

五、なお、被告が原告に対し非限定の乗合自動車事業をしないことの不作為義務をおいながら、同事業経営の免許申請をすることは、この義務に違反した第一段階の行為であって、その申請権がないにかかわらずしてした申請であるから、被告は、原告に対し不作為の給付義務の履行として、本件第四次免許申請を取下げる義務をおうものというべく、原告は、訴訟提起の方法により、その義務の履行の請求をなし得ると解するを相当とする。

(被告の法律上の主張三、について)

一、道路運送法第二〇条の規定は、被告の自認するとおり、同法により現に免許を受けている道路運送事業者が他の同様の事業者との間で運輸協定をする場合に適用されるものであって、協定の成立した当時新会社ないし被告は、道路運送事業者でなかったから、同法条によって、認可の申請をしても、それが受理されることはないから、同法の適用がないことはもちろん、類推適用されることもないと解すべきである。

二、しかしながら、原告は、協定による各約条の効力をそれ自体として有効であるとの前提において本訴の請求原因としているので、原協定(三)及び(五)の約条が道路運送法第二〇条にいう運輸に関する協定であって、それが同法条による認可を受けなければ効力を生じないものとすると、少くとも、被告が第二次免許申請による経営免許の認許を得て乗合自動車事業者となった後、その効力を失ったものとしなければならない。

三、おもうに、道路運送法第二〇条による運輸協定は、当該各事業者が免許の内容となった事業計画ないしその後の認可によって変更せられた事業計画及びこれに付帯した諸認可の事項の範囲内において行われるはずであるから、通常の場合、所管庁の認可がなくても同法の適用上効力を生じないことはなく、ただ、事業計画及び認可事項の範囲内の運輸協定でも、一度同法条により認可せられた運輸協定の内容を変更するに際しては、同法条により認可を要するものと解するを相当とする。

したがって、運輸協定は、免許の内容となった事業計画ないしその後の認可によって変更せられた事業計画とこれに付帯した諸認可事項に反しないかぎり、また、事業計画の内容及び諸認可の事項以外についてした協定についても、所管庁の認可を受けなければ道路運送法の適用上無効であるとは言えないが、同法による諸事業が公益事業であるゆえに、その協定内容が独占禁止法に抵触するおそれがあるので、同法第二一条は、所管庁の認可によって、もし、その協定内容が独占禁止法に抵触しても無効とはならないことを規定して、運輸協定の認可に特別の効力を付与したものと解すべきである。

四、原協定(三)及び(五)の約条は、被告が第二次免許申請による経営免許を得た後において、原告と被告との間の運輸に関する協定であるというべきであって、(三)の約条は、将来被告が非限定の経営免許による事業を経営してはならないとの趣旨を含むと解すべきであるけれども、それは、(五)の約条とともに、被告が認許を受けた免許申請の事業計画及びこれに付帯すべき諸認可の事項以外の協定であって、事業計画及び諸認可の事項に反すると言えないから、同各約条が道路運送法に違反することはなく、同法の適用上、同法第二〇条による認可がないゆえに無効であるとは言いえないと解するを相当とする。

(抗弁一、について)

一、乗合自動車事業の経営は、道路運送法所定の申請手続によりその免許を得た者のみがなし得るところのものであって、警察許可の対象たる諸営業のごとく、何人にも当然許された自由営業でないが、これが経営免許の申請権は、何人にも付与せられた個人的公権であること及び同事業の経営免許の申請権が私人間の契約によって放棄し得るものであることは、前記判断のとおりであって、ここに、経営免許の申請権の放棄とは、その免許に基づく乗合自動車事業の経営をしないことの不作為義務を負担することを意味することはいうまでもなく、また、乗合自動車事業が公益事業として所管庁の監督と指導のもとに一定の地区ごとに独占化することが通常の例であることも、さきに説示したとおりである。

二、ところで、本件においては、被告が将来期待し予測せられる奥道後の観光客の輸送需要を見込んでその旅客のみを対象とした限定の第一次免許を申請したことを契機として、はやくより非限定の経営免許を得て奥道後を通過する河中線において独占的に乗合自動車事業を経営していた原告との間において原協定が成立し、修正協定において、被告が右第一次免許による経営免許を容易に獲得する方法として、もともと、被告がその経営を意図していなかった非限定の経営免許による乗合自動車事業を将来経営しないことの不作為義務を負担することを約諾したものであるが、道路運送法のもとでの乗合自動車事業の実態が右のとおりであって、既設路線における事業者があるかぎり、さらに同一の経営免許を申請しても、たやすくその認許を得ることの見通しが少く、またはない場合が多いことを考えると、被告が非限定の経営免許による乗合自動車事業の経営をしないことを契約したことにより、奥道後地区の自動車交通上の公益が害されることはないと認めるを相当とし、他の法規、特に後記抗弁二、にかかる独占禁止法上の制約に違反しないかぎり、少くとも、道路運送法上の公益を害することとはならず、原協定(三)の約条は、公の秩序に反するものでないというべきである。

また、協定に期間の定めがないことは、それが奥道後の観光施設の存続する遠い将来を見込んで締結されたことによるものであって、被告の非限定による乗合自動車事業を経営しないことの不作為義務の終期が予定されていないことをもって、本件の場合とくに公序良俗に反するものとはなしがたい。

(抗弁二、について)

一、被告は、「原協定(三)の約条により、原告が一方的に被告の事業活動に制限を加え、被告をしてバス事業の競争場裡に伍してゆけなくし、松山市内におけるバス事業分野における競争を実質的に制限し、また、取引の相手方(旅客の範囲)を制限する方法によって被告の事業活動を拘束し、その結果、原告が、公益に反して被告との競業路線における非限定のバス事業を独占する一方、不当な取引制限をすることとなり、同約条は、独占禁止法第三条に違反する」と主張するところ、その趣旨は、多分に不明確であるが、善解すれば「同約条は、新会社(修正協定による被告)が限定の経営免許によるバスを運行して奥道後の観光客(の一部)を輸送することができるとせられるのに対し、原告は、非限定の経営免許によるバスを運行して奥道後の観光客(の一部)及び通常の旅客を輸送することができることを定め、原告が非限定のバスの経営を独占し、かつ、被告に対し非限定のバスの運行を制限(禁止)することにより、奥道後関係のバス路線における旅客輸送について不当な取引制限をしたものである」との旨主張するもののごとくである。

二、すでに、説示したとおり、協定成立当時、原告は、非限定の乗合自動車事業者として奥道後を通過する河中線において独占的に乗合自動車事業を経営していたのであるから、原協定(三)の約条により、はじめて同路線の旅客一般の輸送を独占したものでなく、同約条により旅客に不利益を及ぼすことはないと認められ、公共の利益に反するとは言えないので、原告が同約条により非限定の乗合自動車事業を私的に独占したこととはならないというべきである。

三、また、前記のとおり、原協定(三)の約条は、新会社(修正協定による被告)と原告とが将来において予測せられる奥道後関係の競合路線において、奥道後の観光客とその他の旅客との輸送区分をして、たがいに競業避止義務を負担することを定めたものと認められるので、右被告の主張はその前提において誤りがあるというべきであるが、とにかく、原協定(三)の約条は、原告が現在有している非限定の独占的形態をそのまま維持しようとするものであって、被告に対し非限定バスの運行を制限(禁止)することは、現在の自由な競争を実質的に制限するものではないから、原告が公共の利益に反して不当な取引制限をしたものでないと解するを相当とする。

― ただし、原協定ないし修正協定によって、原告が新会社または被告に対し資本参加してその三割の割合による株式を取得することにより、奥道後の観光客とその他通常の旅客との区分により、たがいに競業避止義務を負担することが定められたとすると、これが契約は、独占禁止法第一〇条及び第三条に違反することの疑いがあり、これを積極に解すると、原協定及び修正協定は、公序良俗に反して無効であると結論づけられることとなるであろう。

(抗弁三、について)

一、前記第一の6、7、8の当事者間に争いない事実、≪証拠省略≫を総合すると

1  第二次免許申請に際し、被告から原告に対し第一次免許申請と同一内容の原案(ただし、第一次免許申請における運行系統(5)の奥道後―三津浜港の路線を削除)を提示し、さきの第一次免許申請のときと同様の同意書の交付を求めたところ、原告は、これに応じないで、奥道後―国鉄松山駅間の路線について運行回数(一日)自四月一日至一〇月三一日の期間一〇五回、自一一月一日至三月三一日の期間八五回を年間を通じて四二回、奥道後―高浜港間の同じく一一回を一〇回に、奥道後―堀江港間の同じく四回を二回にそれぞれ削除することを求め、ただ奥道後―松山空港間の同じく二回を五回に増便することを認めたのであるが、坪内は、右原告の奥道後―国鉄松山駅の路線の運行回数の削減要求に対し痛憤したが、仲介役の八木豊の説得により、運輸協定の有効期間の一時的措置であると考えて、ついに原告の要求に屈服し、事業計画を組みなおし、原告との間でこの事業計画に基づく運輸協定を締結して、第二次免許申請をしたこと。

2  右運輸協定の締結ないし第二次免許申請書原案の修正中に、原告は、既設の岩堰線の奥道後延伸のことを被告に対し明示せず、運輸協定においては、協定区間として、被告の申請にかかる運行系統と競合する各路線の区間を協定したが、原告の運行系統及び運行回数を運輸協定書に掲記しないで、双方の運行回数及び運行時間は別途協議するとして特定せず、ただ、運賃は、当時施行中の原告のそれと同一にすることを定めたこと

の事実を認めることができ、原告の岩堰線を奥道後まで延伸することを当時原告から被告に対し了解を求めた旨の右認定事実に反する趣旨の≪証拠省略≫はこれを措信しがたい。

二、右運輸協定は、本来なれば、被告が第二次免許申請に基づく経営免許の認許を得て被告の事業計画の内容が特定された時点において、原告の既設路線との調整を図るためになすべき性質のものであり、原告は、第二次免許申請書が第一次免許申請書の内容と一致するかぎり、原協定(三)及び(七)の約条により、これに同意すべき義務があり、ただ、当時まだ原告から被告に対する資本参加(加えて原告から被告に対し派遣する出向役員の就任)が実現していなかったので、このことを理由として同意を拒むことは格別、同申請における事業計画の当否の判断はこれを所管庁の裁断に委ねるべきであって、原告がこれを修正することは協定に違反することとなるので、原協定(六)の約条により事前に運輸協定を締結するとしても、第二次免許申請書原案の内容に応じてしなければならず、運行回数及び運行時間については、後日経営免許が認許されてから定めることとして、なさるべきであったというべきである。

三、しかるに、前記第一の一、の10のとおり、原告は、昭和三九年一二月二五日の奥道後遊園地開園の当時から国鉄松山駅―奥道後の新路線を開設し、一日三一回の運行を開始したのであるが、≪証拠省略≫によると、被告は、右当日まで原告が奥道後線開設のことを原告から告げられておらず、しかも、同路線は従前の運行系統の路線を変更して、被告の奥道後―国鉄松山駅の路線とまったく競合するものであったと認めることができるので、前記運輸協定は、第二次免許申請書の原案を修正することの手段としてなされた一方的の押付けであったと言わざるを得ない。

もっとも、≪証拠省略≫によると、運輸協定書において、双方の協定区間として奥道後―国鉄松山駅の路線が示されているけれども、同路線は、原告の既設の河中線とまぎらわしいので、原告の運行系統別の運行回数が協定されないかぎり、これを真の意味の運輸協定書とはしがたいことわりである。

四、原告は、第二次免許申請による経営免許において、被告の奥道後―国鉄松山駅の路線については、途中停留所として松山市駅前一個所が指定されたのみであったので、途中乗降する旅客のために原告のバスが必要であった旨主張し、≪証拠省略≫は、右主張にそう趣旨の証言をするのであるが、≪証拠省略≫によると、第二次免許申請において、奥道後―国鉄松山駅の路線における途中停留所として、イワセキヒル前、石手寺前、道後公園前、ロープウェイ下、一番町、松山市駅前の六個所が申請されており、これら停留所は、観光客の重点的な集合場所であると認められるので、原告がその余の途中区間で乗降する奥道後の観光客を輸送するために、被告と同一路線を設置して、被告の運行と約一〇分おきに三六回(内五回は松山市駅前終点)の運行をしなければならぬ必要性はなく、その余の通常の旅客の輸送については、当時の原告の既設路線の運行によってまかなわれたはずである。

しかるに、原告が被告の第二次免許申請の原案を修正して、同路線の運行回数を大巾に削減しておきながら、右主張のごとく原告のバスの運行が必要であったというのは、同申請の事前において、原告が同申請による経営免許の内容を了知し得た事情があったか、でなければ、原告が原案による同申請の運行回数を削減したうえ、さらに、同申請の途中停留所の数をも削減するよう所管庁に働きかけ、原告のバスが競業することの正当性を理由づけようとしたものと推認するよりほかない。

五、さらに、原告は、第二次免許申請の原案の事業計画における車輛数一一台及び乗務員数運転士、車掌各一三人では、被告の予定した輸送規模に対応する運行回数と乗務員の仕業の編成が不可能であったので、原告が被告に対し助言をして運行回数を削減して修正させたが、それでは、被告の見込みによる輸送需要に対応する供給が十分でなかったので、原告が被告と協議のうえ奥道後線を開設した旨主張するのであるが、その開設について原告が被告と協議をしていないことは前記のとおりである。

たしかに、奥道後と国鉄松山駅の片道一〇キロメートルの路線において最低往復八台くらいのバスが必要であると推認されるので、故障等の事故に備えて予備のバスを用意しておくことも必要なはずであるし、乗務員についても、一日一〇五回の運行回数を予定して運転士と車掌各一三人では、一部について交替なしの勤務を要することとなり、これについても不時の休暇などのこともあるとすれば、その員数が不足することが素人目でも十分に窺知できるところであるから、第二次免許申請の原案による被告の事業計画がいかに杜撰であったかが明らかではあるが、被告において資金上の都合でかような計画によるほかなかったというのであれば格別、バス及び乗務員数をそれぞれ増加する修正の方法によれば、運行回数を大巾に削減する必要はなかったはずであって、原告主張の理由によっては、原告が被告と同一路線を開設して、被告と四対三(あるいは七対六)の割合によるほど多数回の運行をする必要があったとはしがたい。

六、なるほど、第二次免許申請がなされた当時、まだ、原告の被告に対する資本参加(加えて原告から被告に対し派遣する出向役員の就任)が実行されておらず、≪証拠省略≫によると、同免許申請により被告が経営免許の認許を得た昭和三九年一一月中に、被告から原告に対し、はじめて資本参加及び出向役員の派遣の実行について、原告の意向を打診した―当時坪内は、原告が奥道後線の開設を意図していたことを知らなかった―が、その後、被告が話し合いを打切ってそのままに経過して来たことが認められるところ、このことは、被告が商号及び営業目的を変更した昭和三五年九月になされてもよく、≪証拠省略≫によって被告が増資をしたと認められる昭和三九年一月の時点では、ぜひ実行されねばならなかったはずであり、前記認定のとおり、その実行を図ることは、被告が負担する条理上の義務であったと言えるので、その実行がなされなかったことの責任は被告にあるとしなければならない。

七、さて、奥道後の観光客とその他通常の旅客とに区分して、被告と原告とがたがいに競業避止義務を負担していたのにかかわらず、原告が奥道後線を開設する意図のもとに、第二次免許申請書の原案を修正する目的をもって、双方間の運輸協定を締結したものであるとすると、被告が当時このことを知らず、同運輸協定が原協定(六)の約条によるものと信じていたとしても、結果的、客観的には、この運輸協定は同約条によったものでなく、同申請書に右運輸協定を添付することによってなされた原告の同意は、原協定(七)の約条による同意ではなかったというべきであって、右運輸協定が原協定及び修正協定とは関りなく、これと別途に徳義的見地からなされた協定であるという被告の主張は、それが徳義的見地からなされたとの点はともかく正当というべきであるが、かくては、修正協定により、被告が商号を変更し、目的を乗合自動車事業及びこれに付帯する事業と変更して、従前の観光事業を承継した国際観光会社が設立されたほか、原告と被告との間において、協定が協定として実質的に機能したことは一度もなく、現時点までにすでに一五年余を経過し、協定の基盤であった双方間の友好関係は崩れ去り、協定の目的に反した競業関係が一〇余年来継続しており、協定は宙に浮いて形骸化し、死文化したというのが真の実態である。

八、なるほど、前記のとおり、修正協定(二)の約条による原告の資本参加の実行がなされなかったことの責任は被告にあるとすべきであり、その資本参加がなされなかったことが協定の実効を烏有化したと認められること、及び被告が第三次免許申請をして原告との間で紛争が生じ、それが「調停による協定」によって終結し、その後、被告が同協定の趣意にしたがい、第一の一、12の争いない事実のとおり、停留所増設等の認可を得て、限定免許の枠内でいく分とも有利な経営条件を獲得しながら、さらに、本件第四次免許申請をして紛争を再燃させた等、被告にとって不利な事情があるけれども、すでに明らかにしたごとく、協定の基本的目的に反した競業形態が一〇年余継続しており、その競業形態を協定が予期した原状に回復することが事実上不可能である今日、一度も実質的に機能したことのない原協定に形式的に存続している(三)及び(五)の約条があるからと言って、これに基づいて、原告が被告に対し、被告が原告の同意なくして非限定の乗合自動車事業を経営しないことの不作為の給付義務を請求することは信義則に反した権利の行使であって、実体上その請求権がないと認めるを相当とし、したがって、被告は、本件第四次免許申請を取下げる義務がなく、あるいは、同免許申請が認許されるときは、あらためて、原告の同意を得なくして、同免許に基づく事業を経営することができるものというべきである。

― 右判断は、本抗弁のうち3及び5の主張事実をふえんしたもので、同1の主張については、その事実がかえって被告にとって不利益に作用することを判定し、その余の2及び4の主張については、判断を省略したのであるが、右判断において、その対象たる主張について一部同主張以外の資料を採りあげてこれを被告の利益に援用し、結論の理由づけも被告の主張の範囲を超えていることは、民事訴訟法における当事者主義の原則に反するやの疑いがあるが、そもそも、民法第一条の規定する私権行使の一般原則は、裁判所の職権によって適用できるものであって、厳密な意義における実体上の抗弁でないので、右判断は、当事者主義に反しないと思料する。

第四結語

以上考察するところにより、被告の抗弁三、の主張は理由があるので、本訴請求を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 水地巌 裁判官 滝口功 裁判官伊東武是は転任につき署名押印することができない。裁判長裁判官 水地巌)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例